日本の教育を考える10人委員会
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「日本の教育を考える10人委員会」とは?

委員長 佐和隆光

 1979年5月、イギリス首相に就任したマーガレット・サッチャー女史は、新保守(市場)主義改革を積極果敢に推し進めた。国営企業を次々と民営化し、各種規制を撤廃することにより、「イギリス病」と言われるほどに停滞していたイギリス経済は、改革の効あって確かに活性化した。
 しかし、薬物と同じく、「改革」の効果ないし作用にもまた、正と負の両面がある。サッチャリズムがもたらした負の効果、すなわち「副作用」の主だったものとして、次の二つが挙げられる。一つは、所得格差の拡大、もう一つは、公的医療・教育の荒廃である。こうした副作用を見るに見かねたからこそ、イギリス選挙民の過半が、1997年の総選挙で、サッチャリズムに「ノー」と言ったのである。

 数ある副作用の中でも、教育の荒廃は目に余るものであった。その荒廃した教育を立て直し、経済社会の活性化と持続的発展を確かなものとするためにも、サッチャー政権2期目以降、中央集権化と競争原理を基調とするラディカルな教育改革が進められることになった。1988年の教育改革法により、イギリス教育史上初めて全国共通カリキュラムが導入され、その達成度を評価する共通学力テストが実施されるようになり、さらには、学校査察機関(OFSTED)による学校評価とその公表が実施されることになった。
 しかし、そうした改革にもかかわらず、基礎的な読み書き計算能力の向上は一向に達成されず、教育機会の格差の拡大と教育問題の深刻化が進むことになった。例えば、義務教育修了資格を持たずに学校を去る子どもが約8%、英語の16歳試験の合格率は41%、怠学(truancy)は毎年100万人以上、学業態度や非行を理由にした期限付き放校処分10万人以上、退学処分1万人以上、さらには、退学処分された者による犯罪の増加など、様々の問題が教育の荒廃として注目されるようになった。
 かくして、トニー・ブレア英首相は、1997年5月の就任後初の記者会見で「優先すべき政策を三つ挙げてください」との記者の質問に答えて、「一にも、二にも、三にも教育だ」と言ってのけ、サッチャー政権、メージャー政権により進められた改革を踏襲しながらも、基礎学力の向上、教育機会の地域間・階層間格差の改善、深刻化する教育問題の改善などを図るために、初等学校低学年の学級規模の上限を30人とする「学校教育水準及び組織法」(1998年7月)の制定、「社会的排除対策本部(Social Exclusion Unit)」の設置と「社会的取り込み政策(Social Inclusion Policy)」の推進、さらには、教育予算の約3割増(2003年)などの政策・施策を推し進めている。
 国内総生産(GDP)とは、一定期間内(一年または一四半期)に生産された付加価値の総和である。付加価値とは、生産額から原材料費を差し引いたものをいう。付加価値は、労働と資本(設備や建物の所有者、または株主)に分配される。言い換えれば、労働と資本が付加価値を産み出すのである。
 労働するのは人である。労働力は、量(人数)と質(能力)の積として測られる。とりわけポスト工業化の進む中、労働の質の重みが増しつつある。労働の質を向上させるのが「教育」の重要な役割の一つにほかならない。公教育の荒廃は、労働の質を低下させる。労働の質の低下は経済を停滞させ、失業率を高める。ブレアの教育改革の成果は、イギリスにおける失業率の劇的な(6%台から2%台への)低下にも顕示されていると言える。

 国によって事情は様々であるが、他の欧米先進諸国でも、1980年代以降、経済の停滞・混乱、深刻化する教育問題、IT化・グローバル化や知識経済社会の進展などに対応するために、類似の考え方に立った様々の改革が進められてきた。しかし、イギリスを含めて、それらの国々では、日本の学校教育、とりわけ義務教育については、そこから学ぶところの多い、優れたものとして評価されている。義務教育費国庫負担制度が、そうした優れた側面の一つであることは言うまでもない。
 ところが、その義務教育費国庫負担のあり方が、小泉内閣の構造改革の一環として見直され廃止されようとしている。「国土の均衡ある発展」といった国土政策とも連動しつつ、義務教育に地域格差があってはならないとする考え方が、わが国の教育政策の根幹をなしてきた。実際、速やかな戦後復興(1945〜55年)、目覚しいばかりの高度成長(1958〜73年)、1973年に襲来したオイルショックの克服、電子部品とそれらを組み込んだ電子機器の分野での世界制覇等々は、わが国の義務教育が高度に整備・充実され、優れた成果を挙げてきたからこそ可能になったと言っても過言ではあるまい。

 1990年代は「失われた10年」と言われるが、最大の遺失物は何だったのかと問われれば、それは「人的資本の劣化」だと言えるだろう。その意味で、ブレア英首相にならって、いま優先すべき政策課題は「一にも、二にも、三にも教育だ」と私たちもまた言いたい。日本経済が長期停滞に陥った主たる原因の一つは人的資本の劣化であった、と私たちは考える。その劣化を食い止め、それを反転させるには、高等教育の改善・充実を図ることも重要であるが、とりわけ義務教育の優れた水準を維持し、そのさらなる改善・充実を図ることが肝要である。
 むろん、政府のやるべきことと、やるべからざることとの「線引き」の在り処については、意見の分かれるところであろう。しかし、義務教育を「政府のやるべきこと」に含めるべきでないと言う人はまずいまい。とはいえ、現に義務教育は、国がその基本的な枠組みを定め、公立学校教職員の給与(の半額)を中心に応分の経費を負担しているが、公立学校の設置・運営をはじめ、その大半は、地方自治体によって担われている。

 そこで問われなければならないのは、義務教育への国の関与の在り方はどうあるべきかという問題である。従来は、義務教育の地域格差を解消・抑制すべく、国が補助金を教育のための特定財源として自治体に供与してきた。そのためもあって、義務教育の中央統制の度が過ぎると批判されることにもなり、実際、その弊害を示す事例に事欠くこともなかった。
 むろん、地方自治体が義務教育の改善・充実のために創意工夫を発揮することは重要なことである。そのための機会と権限を拡大することも重要である。とはいえ、財政的に豊かな自治体の学校と、貧しい自治体の学校との間に生じるであろう「格差」を、座視し放置するわけにはいかない。貧しい自治体に育つ子どもたちを「良質」の教育から「排除」するという意味での、機会の不平等や差別は、あってはならないからである。
 生まれ育つ家庭や地域に関わりなく、すべての子どもたちが自分の才能を伸ばし、個性を育み、豊かな社会生活・職業生活を営むことができるようにするためにも、また、「人材の浪費」を避け、経済社会の活性化と持続的な発展を確かなものとするためにも、すべての子どもたちに豊かな教育の機会が平等に開かれていなければならない。そのためにも、国は、全国的に教育の基礎水準を担保し、さらに、その向上・充実を促進するために、自治体による義務教育の改革の成功例を、費用対効果を十分に勘案した上で、全国に押し広げるための財政的措置を講じるべきである。財政多難の折から、無いものねだりのように聞こえるかもしれないが、教育は国家百年の計であり、18歳年齢人口の学力向上と健全な市民的資質の形成こそが、経済社会の持続的発展の必要条件であることを、いま一度強調しておきたい。
 以上のような問題意識を共有する有志が集まり、義務教育への国の関与の在り方について、自由闊達に討論する場「日本の教育を考える10人委員会」を発足させる運びとなった次第である。
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