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2004年度 委員のプロフィール |
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委員のプロフィール及び「私はこう思う」 |
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●市川 昭午(国立大学財務・経営センター名誉教授) 【プロフィール】 1953年東京大学教養学部卒業。北海道大学助教授、東京教育大学助教授、筑波大学教授、国立教育研究所次長、国立学校財務センター研究部長などを歴任。現在、国立教育政策研究所名誉所員・国立大学財務・経営センター名誉教授。教育政策・教育行財政専攻。 著書に「学校管理運営の組織論」「専門職としての教師」(以上、明治図書)、「教育財政」(東京大学出版会)、「教育サービスと行財政」(ぎょうせい)、「教育行政の理論と構造」「生涯教育の理論と構造」「教育システムの日本的特質」「教育改革の理論と構造」「臨教審以後の教育政策」「未来形の教育」「教育基本法を考える」(以上、教育開発研究所)、「高等教育の変貌と財政」「未来形の大学」(以上、玉川大学出版部)など。 【私はこう思う】 自立と自治が称賛され、ローカルオプティマムが叫ばれている時代であるが、それには人々が自立し、自治に参加する社会的能力を身に付けていることが条件となる。また知の世紀といわれる現代社会を生き抜くためにも最低限の知的能力が不可欠である。したがってすべての国民に妥当な規模と必要な水準の学校教育が保障される必要がある。 ところが教育基本法第三条には「すべての国民は、(中略)人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって教育上差別されない」ことが規定されているが、残念なことに「地域によって差別されない」が抜けている。これをカバーするのが、昭和27年に制定された義務教育国庫負担法(新法)であり、その第一条はすべての国民に対し妥当な規模と内容の無償義務教育を保障することを謳っている。 義務教育は明治21年の市町村制施行以来も重い国政委任事務としてその費用負担が市町村財政を圧迫するだけでなく、義務教育の進展を阻む要因となってきた。そのため明治時代の中頃から国庫負担を求める運動が起こり、大正時代の末には既に半額負担に達していたが、それでもなお昭和初期には教員給料の遅配欠配等が各地で発生した。その結果昭和15年に義務教育国庫負担法(旧法)が制定されるに至ったのである。 これからも分かるように、この制度は教育関係者だけではなく、多くの地方自治体関係者、さらには保護者や住民の長年にわたる大変な努力によって形成されてきたものである。我が国の初等中等教育が1970年代まで世界的に最高の水準にあると評価されてきたのは、この国庫負担制度に負うところが大きい。 1980年代からいわゆる教育荒廃が問題になるが、80年代中頃から国庫負担の部分的な一般財源化が始まり、すべての国民に妥当な規模と内容の教育を保障する政策が後退し始めた。経済発展の不均衡や地域間の財政負担能力が拡大していく一方である現在、教育の水準や機会を維持するために国庫負担の制度はますます不可欠のものとなっている。 規制緩和や国庫補助負担金の廃止によってローカルオプティマムが必要とされる分野がないわけではないが、義務教育はそうではない。一定水準の教育をすべての国民に保障するシステムは何としても維持されなければならない。先人たちが育ててきたこの制度を崩壊させないことが将来の国民に対する我々の重大な責任である。 ●尾木 直樹(教育評論家・法政大学教授) 【プロフィール】 早稲田大学卒業後、私立海城高校、東京の公立中学校教師を22年間勤める。94年に、臨床教育研究所「虹」を設立。いじめ、キレる子現象、学級崩壊、引きこもり、メディア問題などに先駆的な調査研究活動を展開。また、教育相談、講演、TVへの出演、新聞へのコメントなど幅広く活躍。主な著書に「子どもの目線」(弘文堂)「競争より‘共創’の教育改革を」(学陽書房)「子どもの危機をどう見るか」(岩波新書)等がある。 【私はこう思う】 義務教育国庫負担制度の廃止には反対。今の教育改革は、財政側の視点だけで、教育論が抜け落ちており、歪んだ教育システムになろうとしている。教育というのは、効率的にやればいいというものではない。 地域の裁量権のみ強調しすぎると、地域格差が生じるだけでなく、それぞれの自治体で成果主義に陥り、教育実践が競争主義の傾向を強くせざるを得なくなると思われる。したがって、教育は確実にゆがむ。 あるレベルまでは国が基本的に責任を持って一定のルールを示し、地域はプラス_の領域で独自の教育改革を積極的に行なうという二重構造の仕組みにすべき。 また、義務教育国庫負担制度の廃止は、等しく義務教育を受ける権利が定められている憲法の理念に反するものと考えている。 ●小野田 誓(社団法人日本PTA全国協議会常務理事) 【プロフィール】 職業・公認会計士・税理士。名古屋にある監査法人丸の内会計事務所(現監査法人トーマツ)勤務を経て、昭和62年、公認会計士小野田誓事務所を開設し、現在に至る。平成9年よりPTA活動に関わり、平成13年度より名古屋市立小中学校PTA協議会会長(現在3期目)。日本PTA全国大会のパネラー等多くのPTAに関わる大会や各種会議に参加。大学生・高校生・中学生の3人の子どもの父親。 【私はこう思う】 義務教育費国庫負担制度は、国が義務教育を支えるという点で、維持すべき制度である。この制度がなくなると、義務教育に対する予算が減少していく危機感がある。現状の予算が保証されるのであれば、総額裁量制も望ましい。 日本のような資源のない国は、教育が大切。国家戦略のもとに十分な支えをするべきである。18年度から税源移譲することは拙速である。もっと幅広く議論を重ねるべき。 義務教育では、現場の先生が最重要である。子どもたちが楽しく学校に通うことができるよう、そうした気持ちにさせる先生を育成すべきである。 ●糟谷 正彦(住友生命顧問) 【プロフィール】 神戸大学法学部卒業。63年文部省入省。人事課、地方課などに勤務。70年島根県教育委員会学事課長に出向。73年文部省総務課課長補佐。79年千葉県教育次長に出向。82年文部省特殊教育課長。教職員養成課長、文化庁会計課長。89年文化庁文化部長。90年大阪大学事務局長。94年日本体育・学校健康センター監事、理事を経て、2000年に住友生命顧問。 主な著作として、糟谷正彦著「校長・教頭のための学校の人事管理 改訂版」(学陽書房)。鈴木勳編著「逐条学校教育法第5次改訂版」(分担執筆、学陽書房)など。 【私はこう思う】 これまで、国庫負担があったからこそ、質の高い教員が確保され、義務教育の水準が維持できてきた。義務教育は、トップレベルではなく、中下位の子供たちを視野に入れる必要があり、ボトムレベルを確保するためには、全国均等均質でなければならない。地方に委ねることは、全国同一レベルの義務教育が維持できないのではないかと考える。 教員は専門職もしくはそれに準じる職業であり、その給与水準は「標準給与法」等を定め、国が示すべきである。 ドイツ、イギリス、フランスなどでも、国が基準を定めている。地方に任せて、単に需要と供給だけの市場原理で、給与水準を決めることにすると、地味なしかし重要な職業である教職には、重点配分されないことになりがちである。人材の誘致に支障を来たすことになる。 一方で、教員側には倫理基準を設け、セルフチェックしていけるような仕組みも必要である。 ●黒崎 勲(日本大学教授) 【プロフィール】 教育行政学を専攻。近代日本の公教育制度成立過程を教育財政制度の側面から考察した研究によって教育学博士の学位を取得。最近は学校選択制度について、 単なる市場原理の活用とは別に、抑制と均衡のメカニズムによる公立学校改革の可能性に注目する立場から幅広く発言している。主要な著作としては『公教育費の研究』(青木書店)、『学校選択と学校参加』(東京大学出版会)、『新しいタイプの公立学校』(同時代社=日日教育文庫)など。 【私はこう思う】 義務教育が社会の再生産にとって重要であり、その水準の維持は国家の重要な責任であるが、そのことと、義務教育の内容・方法・レベルについて地方の自主性に任せるということとは矛盾するものではない。公教育の教育活動のガイドラインとしては学習指導要領なども全国で一つでなければならないのかどうか、検討してみる必要がある。しかし、教育について独自の方針を掲げ、熱心に取り組む気のある地域が、自分の努力では回避できない財政面の問題から教育の水準を維持できなくなるというようなことが起こってはならない。現行の義務教育費国庫負担制度についても、その撤廃がそのような結果に結びつくことはあってはならない。同時に、現行の国庫負担制度のように一律定率の国庫負担、補助という制度は自治体の財政能力によって義務教育の水準を規定させないという課題に対しては限界がある。そのために、「教育への熱心度」あるいは「自助的な努力」などを考慮した、新しい発想の教育財政能力の調整制度が必要である。 なお、この制度が昭和27年の成立当初から、国庫負担の対象を教諭に限定せず義務教育諸学校に置かれるすべての職種の教職員の給与費を対象としてきたことは、学校教育法等の法の趣旨に従って、学校の在り方を安定したものとするうえで極めて大きな役割を果たしてきた。特に学校教育法第28条、第40条にしたがって学校に置かれる事務職員の給与費を校長・教諭等とともに一括して国庫負担の対象としてきたことは、事務職員が学校において必須な基幹的な教職員であることを明らかにするうえで大きな意義をもつものであった。単に国庫負担の総額を削減するために一部職種の教職員給与費を国庫負担の対象からはずそうとする動きがあるが、こうした動きは、学校におくべき基幹的な教職員の全体的な編成を歪めるとともに、地域との連携を深めながら、それぞれの特色を打ち出し、独自の教育理念にしたがって自律的な経営を行うという、現在の教育改革において求められている新しい学校の在り方を妨げるものとなる。 ●斎藤 貴男(ジャーナリスト) 【プロフィール】 早稲田大学商学部卒。英国バーミンガム大学大学院修了(国際学MA)。日本工業新聞記者、プレジデント編集部、週刊文春記者を経て独立。『カルト資本主義』『機会不平等』(文春文庫)『プライバシークライシス』(文春新書)『バブルの復讐−精神の瓦礫』(講談社文庫)『梶原一騎伝』(新潮文庫)『サラリーマン税制に異議あり!』(NTT出版)『小泉改革と監視社会』『空疎な小皇帝――「石原慎太郎」という問題』(岩波書店)『「非国民」のすすめ』(筑摩書房)『教育改革と新自由主義』(子どもの未来社)など多数。 【私はこう思う】 様々な権限が分割されて小さな主体に移ることにより、その内容が不透明になり、外からはわからなくなる傾向がある。また、小さな主体に権限が集中すると、その価値観に合わない人が排除され易くなる点にも注意を払う必要がある。 その一方で、様々な地域、様々な環境で生まれた人が、義務教育だけは同一のスタートラインで機会平等になっていることは必要であり、義務教育は画一的でよいとさえ考える。むしろ現実にある格差の是正こそが急務だろう。 子供たちは個の発現する時期にも差があり、気づくのが遅かった子供がその先の道を断ち切られるという今の仕組みは変えていかないといけない。個性というものはそもそも上から評価される筋合いのものではない。 ●野口 克海(園田学園女子大学教授) 【プロフィール】 67年に大阪府下公立中学校教諭に着任。82年から、大阪府教育委員会、同教職員課参事、義務教育課長を経て、96年に大阪府堺市教育長。98年、大阪府理事兼教育センター所長。99年、文部省教育課程審議会委員。主な著書として、「教育はこれからがおもしろい」「私の子ども党宣言」「地方発の教育改革」など。 【私はこう思う】 義務教育国庫負担制度の廃止には反対である。世の中全体が自由競争に転換しているが、義務教育は、自由権ではない。社会権である。全ての子どもが健康で文化的な最低限度の生きる力を身につけるように国が下支えをすることが必要である。 教育は未来への投資であり、それを怠ると国が滅びる。これまで教育委員会で活動してきた経験からいうと、教育に対する理解が深い首長は少なく、一般財源化になれば、地方を中心に十分な義務教育費が確保されない状況になるであろう。地方交付金により補助が出たとしても、国の義務とするのか補助とするのかで大きく意味が変わってくる。 義務教育では、わかりやすい「授業」や「安心」できる学校をつくり、保護者、地域の人たちに「信頼」される学校にすることが最も必要である。 ●樋口 恵子(評論家・東京家政大学名誉教授) 【プロフィール】 東京大学文学部卒。東京大学新聞研究所本科修了。時事通信社を経て学研に勤務。その後キャノン広報宣伝部に勤務する傍ら、女性・家族・教育問題の研究会に所属し、それらの分野の評論家として独立。86年から東京家政大学教授。99年同大学人間文化研究所長。2003年定年退職。公職としては、70年代に東京都社会教育委員、女性問題協議会委員。国では中央社会福祉審議会、内閣府男女共同参画会議議員等を務める。「女性と仕事の未来館」初代館長。95〜2001年に地方分権推進委員会委員として義務教育費の国庫補助負担金や教育長の国による任命承認制の廃止への論議に関わる。著書としては教育関係では「親と子の距離を考える」「育児は育自」「他人が見える教育」など。 【私はこう思う】 地方分権推進委員会(以下「委員会」)としては、すでに第2次勧告において、「国がナショナルミニマムとして一定水準を確保する責任をもつべき行政分野に関して負担する経常的国庫負担金」として、「その対象を生活保護や義務教育等の真に国が義務的に負担を行うべき分野に限定していくこと」としている。 すなわち当時の「委員会」としては、できるだけ国庫補助負担金を廃止・縮減する方向を明示し、補助金と負担金を区別して概ね10年ごとの基本的見直しを求めた。その負担金の中で、生活保護と義務教育費は、とくに国の責任として例示され、「委員会」として義務教育費の国庫負担は当然という合意があった。 国庫補助負担金に関する議論の中で、全体の廃止縮減一般財源化は地方分権の趣旨として「委員会」全員一致であった。しかしこの議論の中で、論議が白熱したのは、財源の問題のみならず、その運用・関与の改革であった。 「補助対象資産の有効活用・転用」ははっきりと勧告に記され、その後学校施設の地域開放、高齢者福祉施設の併設・転用は格段にすすんできている。補助対象施設の地方公共団体による柔軟な活用・転用はもちろん他省庁の補助対象事業(施設)にも求められるが、とくに義務教育を中心とする学校施設は、地域社会の核となる社会資源であり、全国津々浦々に整備されている。地域の住民サービスの拠点として、施設の有効活用を住民側から要望する声はその当時すでに高くなっていた。学校施設の転用に関する分権化をすすめたのは、地域住民の要望に根ざした「委員会」の論議と勧告であったと自負している。 地方分権の趣旨は、首長や行政機関(もちろん学校を含めて)が国を見つめるだけではなく、住民のほうに目を向けて、住民の意向を反映し、より深化した民主主義による行政を行うことだと私は思っている。 限られた予算の中で、地方公共団体はできるだけ自由に、住民の福祉の向上を第一に施策を実行すべきである。同時に、義務教育に関して、ナショナルミニマムとして負担する予算および一定の基準を提示することは国の責任ではなかろうか。 ●藤田 英典(国際基督教大学教授) 【プロフィール】 早稲田大学政治経済学部卒。スタンフォード大学教育系大学院修了(Ph.D.)。名古屋大学助教授、東京大学教授・教育学部長を経て、2003年4月より現職。2000年に教育改革国民会議委員。現在、東京大学客員教授、日本学術振興会主任研究員を兼任。1990年代半ば以降、世界十数カ国の教育省・教育委員会や百数十の学校を訪問し、教育改革・学校改革について比較社会学的に研究してきた。主な著書に『子ども・学校・社会』『教育改革』『市民社会と教育』『新時代の教育をどう構想するか?』『変動社会のなかの教育・知識・権力』『家族とジェンダー』等がある。 【私はこう思う】 義務教育費国庫負担制度の廃止・一般財源化には反対である。 日本の義務教育は、教育の質、学力水準や少年犯罪水準(の低さ)などの点で世界のトップレベルにある。また、各種の調査・報告によれば、校内暴力、いじめ、不登校なども、欧米先進国に比べて軽微だとは言えても、劣悪だと言える根拠はない。上記制度は、そうした日本の高い義務教育水準の重要な基盤となっているものであり、欧米の教育関係者も高く評価している。上記制度の廃止は、それらの点での水準低下を招く危険性が大きい。 最近の教育改革は、議論のすり替えや偏見に根ざすものが多すぎる。今回も財政面と地方分権化の関心によって先導されたものである。一般財源化により、首長の裁量になれば、財政事情の厳しい自治体を中心に、義務教育費が他の財源として流用され、教育の地域格差が今以上に拡大することになる。 義務教育は、自由権ではなく社会権であり、すべての人が一定水準以上の教育をうけることのできる環境を構築・保障しなければならない。同時に、地方が独自に創意工夫し、教育の改善・充実を図ることができるようにするためにも、本年4月から実施された上記制度の総額裁量制には賛成である。 なお、最近の改革動向について2点コメントしておきたい。(1)学校選択制は、勝ち組と負け組をつくり、学校を序列化し、しかも、学校を無用な競争に駆り立て、教育の安定性を阻害することになる。小中学校段階の教育は地域に根ざした生活圏の中で行われるのが最善である。(2)客観的・業績主義的な教員評価は、教職の自律性・包括性・協働性を阻害し、モラル・ハザードを招く危険性が大きい。客観的・管理的な評価ではなく、形成的な当事者評価(保護者・生徒や地域の人たちも当事者)が好ましい。 ● 渡邉 光雄(福島県原町市教育長) 【プロフィール】 東洋大学社会学部卒。75年より(株)日本教育新聞社に勤務し、97年〜2000年まで取締役編集局長。98年〜2002年に北海道立正学園旭川実業高校理事。2000年〜2002年には、教育図書出版社である(株)アドバンテージ・サーバー、また、2001年〜2002年には日本女子大学非常勤講師を兼務。主な著書として、「教師教育の再検討3 現職教育の再検討」(共著、教育開発研究所)、「臨教審と教育改革 第1〜5集」(共著、ぎょうせい)、「教師生活大百科」(共著、ぎょうせい)、「生涯学習と学校・社会 学校経営と法研究会叢書2」(共編著、八千代出版)ほか。 【私はこう思う】 火力発電所が立地し、財政力指数が県内では比較的良好な原町市でも、歳入が年々減少して予算縮小を余儀なくされている。市全体の予算枠が狭まり、教育予算も削減傾向にあり、特に災害発生時には住民の避難場所としての役割をも担う学校については、早急に耐震補強を実施しなければならないのに、校舎や体育館の改築どころか改修工事すらできない。また老朽化した学校プールの安全性も心配されているが、これも改修の見通しが無い状態にある。 中央は、市町村の教育現場の現状を把握しているのか、疑問を感じる。財政論だけで議論を進め、教育現場の視点が欠けていることに危惧する。 すでに三位一体による財政的しわ寄せは大きく、これ以上義務教育費国庫負担制度がなくなれば、市町村の教育予算はさらに削減され、教育水準の維持は一層困難となる。全ての人、全ての地域が共通のスタートラインに立てるよう、最低保障としての全国共通の教育基盤である国庫負担制度を維持し、改善すべき課題については早急に改善すべきである。 地方分権と言いながら、仕事だけが市町村に降りてきている。国・県からの人的・財源的な手当は不十分で、きめ細かい教職員配置も市単独では困難になっている。 義務教育費国庫負担制度は維持したい。一般財源化するというならば、現状の水準を低下させない保障があるのかどうか、責任ある内容を早く示すべきである。そうしなければ、教育現場や保護者は不安を募らせるばかりだ。 教職員配置などの権限を市町村に移譲し、各学校の課題に応じた弾力的配置などができるようにして欲しいが、現状では小規模教育委員会ではその受け皿は不十分である。当面は、例えば県の教育事務所単位で自由に裁量できるような仕組みを設けることも重要ではないか。 |
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